父親が肺がんになった時に末っ子の僕はどうしたか

2017年3月に父親の肺がんが見つかりました。その時点でステージIIIb(3b)です。さらに最近転移が見つかりました。正直つらいです。親父の近況とどういう治療をしてきたかありのままを話したいと思います。


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肺がんになった父親について

経歴・人となり

親父は60代半ば。仕事は大工。
肉体労働者なので、年の割に筋肉もあり体も健康。細身だがよく動ける父でした。「じっとしてられない親父」というのが、そのままのイメージだと思います。

性格は頑固、誠実、明るく穏やか。友達が多くいろんな人に愛される性格。偉そうな人は嫌い。

父親の喫煙歴

タバコは恥ずかしい話高校生くらいかららしい。なので大体50年弱。多い時は1日1箱、普段は1週間に3箱くらいだったよう。

父親の病歴

4年前に肺気腫、今年に入って十二指腸潰瘍をわずらう。肺気腫については本人曰く「建築作業で若い頃にアスベストとか吸ったからだ」と言っているが、実際はタバコの影響が大きいだろう。それ以外は病気なし。


肺がんが発覚したきっかけ

ガン
photo:Jason Taellious

1週間くらい体調不良で仕事を休んでいた親父。「母ちゃん、便が真っ黒や」と、ある日母に伝える。

この際全部まるっと検査してもらいな、と母が父を説得し、胸部CT、MRI、レントゲンなどひと通り検査したところ、「胸に影がありますね。専門病院を紹介するので精密検査してください」と診断。

十二指腸潰瘍はたんなる酒の飲みすぎだったが、肺の方はPET検査(生体検査)をしたところガンと確定診断。十二指腸潰瘍の発症からここまで2ヶ月ほど。


父親の肺がんの病状(初診)

右肺の上の方に3cm大のガン組織。ステージ3bと診断される。

肺ガンのステージとは

病期の評価にはTNM分類と呼ばれる分類法を使用します。これは、がんの大きさと浸潤しんじゅん(T因子)、リンパ節転移(N因子)、遠隔転移(M因子)の3つの因子について評価し、これらを総合的に組み合わせて病期を決定する方法です。

肺がんでは、病期は0期、Ⅰ期(ⅠA、ⅠB)、Ⅱ期(ⅡA、ⅡB)、Ⅲ期(ⅢA、ⅢB)、Ⅳ期に分類されます。

出典:http://ganclass.jp/

父の場合は

・腫瘍の最大径が3cmを超えて5cm以下、あるいは3cm以下で胸膜に浸潤がある
・がんのある肺と同じ側の気管支周囲かつ/または同じ側の肺門、肺内のリンパ節への転移がある
・遠隔転移なし
この状況でステージ3bと診断されました。

末期がんの1歩手前だった父親

「もしかしたらガンがあるかも」と母親から聞いた時は、もう少しステージが低いかなと思っていました。いやーでも実際話を聞いたら末期がんの一歩手前じゃないですか。正直どんな顔していいかわからんかったですね。


父親のガンの治療法と経過

病室のベッド
Photo:Michael Kappel

放射線治療と抗がん剤のダブルパンチ

今回30回ぐらいの放射線治療と2週間に1回の抗がん剤の投与を行いました。

放射線治療は平日5日間連続で毎日。抗がん剤は2週間飲んで2週間休むスタイルで計4ヶ月続けました。

ガン治療の副作用

副作用は人によって違うようです。よく抗がん剤の影響で髪が抜けたりということがありますが、父親の場合は抜けませんでした。親戚のおじちゃんも肺がんをやったことがあるのですが、そのおじちゃんは髪が抜けてしまったようでした。

抗がん剤については吐き気はあったようです。一日中なんとなく気持ち悪い。しんどくて寝てるのが精一杯という日もあったよう。

放射線治療の副作用はいくつか出てしまいました。放射線治療は、周囲の正常な細胞も放射線で焼いてしまうので、炎症が起きます。父の場合は放射線によって周囲の肺が炎症を起こしていまい、のちのち肺炎になってしまいました。先程お話したおじちゃんは食道炎の症状が出てしばらく食べ物が食べられない状況になったようです。

放射線治療と抗がん剤の効果

幸いこの初期治療は効果がでて、ガンの大きさが1センチにまでなりました。この瞬間はとても嬉しかったですね。

やっぱり「ガン」と聞くと、死の病気、死亡宣告を受けたような気分になっていたんですが、「がん」にも打ち勝てるんだ!という気持ちになりました。親父の場合は、治療の直前まで元気に働いていたこともあり体力がしっかり残っていたのも、良かったようです。

この結果を受けてガンに完勝するために、外科手術による切除にも挑戦することになりました。ただ、これが残念な結果になりました。

腫瘍の場所が悪く肺がんの切除ができなかった

ここまで順調に成果が出ていたので、家族も「この手術でガンをさっぱり取って完治できる」と期待に胸を膨らませていました。

しかし、実際に胸を開いてみたところ、ガンの位置が右肺の一番上部にあり、重要な血管や組織に張り付いていたため切除せずそのまま胸を閉じざるをえない結果になりました。

例えば健康な肺の場合は右肺をそっくりそのまま切除して、片肺で生活する選択肢もありました。ただ、4年前に肺気腫をやっていたことで肺の機能が正常な人の6割、7割程度になっていたため、右肺を全切除すると一生チューブを入れて呼吸しなければいけなくなる。それは患者のクオリティ・オブ・ライフを著しく下げる、ということでこの判断でした。

術後の回復までがとてもきつかった

術後は1週間ほどで退院し、自宅療養でした。ただ、手術で切ったことでかなり傷がいたんでいたよう。傷口は40cmくらい右半身をガッツリ切って、肋骨を切除して手術したので、そりゃ痛いよな、という傷口。

15段ほどの階段をあがるのに15分ほどかかってしまったり、普通に歩くだけで息が切れて歩けなかったりしていました。この時期は本当に見ていて辛かったです。

回復し、元気に外遊び

傷口の痛みが落ち着いてきた頃、父親は趣味の釣りに出かけてとても楽しそうでした。治療は中断しているけど、いろいろなもやもやから解消されて、お酒も飲んで楽しそうにしていたので、なんとなく家族全員一安心していました。

早く治療を再開したいなーというのもあったのですが、放射性肺炎によって肺が炎症を起こしていたので、その炎症が治まらないと治療再開できないという状況もありました。正直この時期は待つしかない時期。これが2ヶ月ほど続きました。

治療再開に向けて再検査。肺がんの大きさがもとの大きさに。転移も。

夏が終わり治療を再開しようと思った時、再度検査を行いました。

「歯が痛い」「顎が痛い」と言っていたので、その部分のCTを取ったところ、ガンが下顎に転移。

また、放射線と抗癌剤でせっかく小さくなっていた肺がんがまたもとの大きさに戻ってしまっていました。普通ガンが大きくなるのは1年で1センチ程度と言われているので、この2ヶ月ほどの間にものすごい速さで大きくなってしまったようです。手術によって刺激したからかな、と母親はいっていましたが、んーとても絶望的な宣言でした。

今月から父親は再び治療を再開して、今度は下顎に転移したがんを放射線で治療するようです。実は父親の住んでいる実家は山奥にあるため、専門設備のある病院まで車で片道1時間半かかります。治療は10分ほどですが、そのために毎日通うのが大変だと家族が心配していました。病院に入院して自由が効かないのが嫌だから自分で車で通うことにしました。

今のところ、こういう状況です。他の箇所に転移したり、既に肺にあるがんがもっと大きくなってしまわないかとてもヒヤヒヤしています。でも、まずは顎のガンから潰すしか無いようで、とてもヤキモキしています。


家族にガンの疑いがある時にやるべきこと

とりあえず会いに行く

心配しすぎと言われたり、何だりするかもしれませんが、「ちょっと暇があったから」というそれっぽい理由をつけて会いに行くべきです。これは絶対です。

僕は父親と一緒に釣りに行ったり温泉に行ったりしました。パット見、外見は普通なんですよね。がんって。身体の内側で徐々に蝕んでいっているわけで。

治療が始まってしまうと抵抗力が落ちたり、体力が落ちたりするので遊びにもいけなくなります。不吉な言い方かもしれませんが、もしかしたら一緒に遊びに行けるのは最後かもしれません。

確定診断と治療法を家族全員で聞きました

実は確定診断と治療法を聞く時、僕も同席することにしました。親父は「わざわざ東京から帰ってきてまでなんとわざとらしい。なんとんしれん」と言っていました。たしかに自分の生死がかかった話を息子娘にも聞かせるのか、ということはありますが、いまでは一緒にカンファレンスを受けてよかったなと思います。

ガンは家族で乗り切らないと、患者本人も、母親や家族も、正直乗り越えるのが難しいなと思います。家族の問題として受け止める必要があると思います。

それでも父親にはまだ治る見込みがありましたので、「まぁ治らないって言われてる訳では無いし、今すぐ死ぬわけじゃないんだから頑張って治療しようぜ。病気に負けたらあかんよ」と父親を励ましました。でも子どもには見せなかったけど、母から聞いた話ではやっぱり結構ガッカリしていたようです。そりゃそうですよね。

心配してるよ。俺たちも支えるね。それを言葉じゃなくて伝えるには、会いに行くだけで十分です。もしかしたら自己満足なのかなと思うんですが、ガンを患った本人だけでなく、母親のそばにいて上げるだけでも力になれるんじゃないかなと実感しています。

あとは家族間で情報量の差をできるだけなくしたほうがいいです。正直あんまり兄や姉とはすごく仲がいいわけではないんですが、情報を共有して家族としてこの困難に向かっていくんだ、一致団結するんだって言う状況ができると、詳しい話はしなくてもなんか心強いです。だから可能なら同席できるだけの家族で診断を聞くべきだし、それが難しい場合は聞いたことをきちんと家族で共有すべきです。

父親本人の意志をできるだけ尊重する

「がんです」と言われたショックは本人にしかわかりません。また、今まで元気に、気丈に生きてきた父親からすると、弱いところを見せないんでしょう。時には「会いに来なくてもいい」強く言われることもありました。

そういった気持も現実も全部いっしょに受け止めた上で、できるだけ本人の意志を尊重できるように家族でサポートしていくほうが良いと思いました。

治療方針や、通院をどうするか、家族のサポートをどうするかは本人に負担をかけない範囲で、本人に必ず確認すべきです。

母親にこまめに連絡する

やっぱり愛する人が病気になって弱っていく姿、生死をかけた病気と戦っている姿はとても堪えます。父親本人へのサポートだけでなく、支えている周りの家族、母親の話を聞いてあげる。それだけでも十分な力になれます。

僕は実家から離れて東京で暮らしているので、それぐらいのことしかできませんが、やっぱり自分のできることで家族を支えてあげることが何より大事だと実感しました。

最後に

とはいいつつも、まだ死んだわけじゃないので、完治を目指して全力で父親を応援しようと思います。また進捗があったらこちらでも報告したいと思います。

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コメント

  1. […]     父の肺がんがわかったときの話はこちら⇒父がステージ3aの肺がんを患ったことをおはなししました。   […]